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https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100003404
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150
件
(
2025-05-13
15:34 集計
)
メタデータ
ファイル出力
メタデータID
0100003404
資料種別
book
タイトル
阪神・淡路震災下の看護婦たち
ハンシンアワジシンサイカノカンゴフタチ
作成者
作成者名
医学書院取材班編
イガクショインシュザイハン
出版者
医学書院
発行日
1995-07
請求記号
震災-10-6
目次
p3-5 はじめに(医学書院取材班)
p[1]-142 震災下の医療現場で
p2-30 神戸大学医学部附属病院
p2-23 新道幸恵さん(看護部長・当時)(新道幸恵:神戸大学医学部)
p3-6 病院への連絡と出勤(新道幸恵:神戸大学医学部)
p6-8 すでに活動が開始されていた(新道幸恵:神戸大学医学部)
p8-9 職員の食事の確保(新道幸恵:神戸大学医学部)
p10-12 あっという間に終わった十七日(新道幸恵:神戸大学医学部)
p12-15 支援物資(新道幸恵:神戸大学医学部)
p15-17 職員のための対応(新道幸恵:神戸大学医学部)
p17-19 ボランティアの導入(新道幸恵:神戸大学医学部)
p19-20 関連する病院の調整(新道幸恵:神戸大学医学部)
p20-23 震災からの教訓(新道幸恵:神戸大学医学部)
p24-28 高谷嘉枝さん(副看護部長・当時)(高谷嘉枝:神戸大学医学部附属病院)
p25-27 外来での医療サイドのパニックはなかった(高谷嘉枝:神戸大学医学部附属病院)
p27-28 情報収集の重要性(高谷嘉枝:神戸大学医学部附属病院)
p28 今後への課題(高谷嘉枝:神戸大学医学部附属病院)
p29-30 骨折に気づかず : 中岩孝子さん(婦長・精神科病棟)(中岩孝子:神戸大学医学部附属病院)
p31-48 神戸市立西市民病院 : 榊原弥栄子さん(看護部長・当時)(榊原弥栄子:神戸市立中央市民病院)
p32-35 病院の五階がない!?(榊原弥栄子:神戸市立中央市民病院)
p35-37 不安な中で急患に対応(榊原弥栄子:神戸市立中央市民病院)
p37-38 医療人の使命感(榊原弥栄子:神戸市立中央市民病院)
p38-41 緊急時の対策(榊原弥栄子:神戸市立中央市民病院)
p42-43 混乱の中での転院(榊原弥栄子:神戸市立中央市民病院)
p43-45 職場を失った看護職のその後(榊原弥栄子:神戸市立中央市民病院)
p45-46 避難所での貴重な体験(榊原弥栄子:神戸市立中央市民病院)
p47-48 四十日が過ぎて(榊原弥栄子:神戸市立中央市民病院)
p49-72 神戸赤十字病院
p49-69 三島敦子さん(看護部長)(三島敦子:神戸赤十字病院)
p53-54 七時間以上かけて病院に到着(三島敦子:神戸赤十字病院)
p54-55 すぐに対策本部を設置(三島敦子:神戸赤十字病院)
p56-57 資料づくりと応援要請(三島敦子:神戸赤十字病院)
p57-61 明確にできた指示(三島敦子:神戸赤十字病院)
p61-62 家族の絆(三島敦子:神戸赤十字病院)
p62-64 かつて経験のない大きな被害(三島敦子:神戸赤十字病院)
p64-66 スタッフの素晴らしさと体験の記録(三島敦子:神戸赤十字病院)
p66-67 看護部長としてのキャリア(三島敦子:神戸赤十字病院)
p67-69 今回の教訓(三島敦子:神戸赤十字病院)
p70-72 阪神・淡路大震災と初出勤 : 手記(小野麗子:神戸赤十字病院)
p73-97 甲南病院
p73-82 柳生敏子さん(看護部長)(柳生敏子:甲南病院)
p74-76 重症者と軽傷者に振り分けて(柳生敏子:甲南病院)
p77-79 災害時の危機管理システム(柳生敏子:甲南病院)
p79-81 スタッフの心のケア(柳生敏子:甲南病院)
p81-82 「友は大なり」(柳生敏子:甲南病院)
p83-91 中村育子さん(婦長・教育担当)(中村育子:甲南病院)
p85-86 近所の人の救出(中村育子:甲南病院)
p86-87 食べものがない(中村育子:甲南病院)
p88-89 病院の状況(中村育子:甲南病院)
p89-90 「みんなでやろう」(中村育子:甲南病院)
p90-91 今回の震災で学んだこと(中村育子:甲南病院)
p92-97 南真記子さん(看護婦・整形外科病棟)(南真記子:甲南病院)
p93-94 親を説得して病院へ駆けつける(南真記子:甲南病院)
p95-96 一人でいるのが怖い(南真記子:甲南病院)
p96 命があるだけでよい(南真記子:甲南病院)
p97 後悔しないで生きていこう(南真記子:甲南病院)
p98-111 神戸協同病院 : 山根香代子さん(総婦長)(山根香代子:神戸協同病院)
p99-101 野戦病院化した中で(山根香代子:神戸協同病院)
p101-102 当日の差し入れに感無量(山根香代子:神戸協同病院)
p102-103 地域に密着した医療活動の延長として(山根香代子:神戸協同病院)
p103-104 行政との関係が始まる(山根香代子:神戸協同病院)
p104-105 病院の体制(山根香代子:神戸協同病院)
p106-109 復興の地域格差(山根香代子:神戸協同病院)
p109-110 家族の心配事(山根香代子:神戸協同病院)
p111 ボランティアと一緒に仕事をする中で学んだこと(山根香代子:神戸協同病院)
p112-127 板宿病院 : 俵積田君枝さん(総婦長)(俵積田君枝:板宿病院)
p113-115 当直の若い看護婦の決断(俵積田君枝:板宿病院)
p115-118 入院患者を連れて避難所に(俵積田君枝:板宿病院)
p118-120 豊かさと危機状況への対処(俵積田君枝:板宿病院)
p120-122 感激した医師や看護婦の忠誠心(俵積田君枝:板宿病院)
p122-123 地震当日から地域を回る(俵積田君枝:板宿病院)
p123-126 避難所へ積極的に入る(俵積田君枝:板宿病院)
p126-127 地域住民とともに(俵積田君枝:板宿病院)
p128-142 兵庫県立淡路病院
p128-133 神田章代さん(看護部長・当時)(神田章代:兵庫県立姫路循環器病センター)
p130-132 避難所への派遣(神田章代:兵庫県立姫路循環器センター)
p132-133 今後の課題(神田章代:兵庫県立姫路循環器センター)
p134-136 権田龍子さん(婦長・精神科病棟)(権田龍子:兵庫県立淡路病院)
p137-142 神戸市立中央市民病院 : 手記
p137-138 一月十七日、その時、私はうろたえた(高橋玲子:神戸市立中央市民病院)
p139-140 救護所へかけつける(堀尾玲子:神戸市立中央市民病院)
p141-142 私の一月十七日(豊田恵美子:神戸市立中央市民病院)
p[143]-204 被災地の看護教育関係者たち
p144-175 兵庫県立看護大学
p144-165 南裕子さん(学長)(南裕子:兵庫県立看護大学)
p145-146 学生と職員の安否確認に(南裕子:兵庫県立看護大学)
p147-148 激論の末、授業再開へ(南裕子:兵庫県立看護大学)
p148-149 学生たちのあせりと怒り(南裕子:兵庫県立看護大学)
p150-152 被災した人の心を癒すために(南裕子:兵庫県立看護大学)
p152-154 ナースボランティア調整本部として(南裕子:兵庫県立看護大学)
p154-160 民間病院への支援の調整(南裕子:兵庫県立看護大学)
p160-161 今後の課題(南裕子:兵庫県立看護大学)
p162-164 なぜ多数のボランティアが動いたか(南裕子:兵庫県立看護大学)
p164-165 被災時、看護管理者が病院管理をやった(南裕子:兵庫県立看護大学)
p166-175 勝原裕美子さん(教員)(勝原裕美子:兵庫県立看護大学)
p167-169 無感覚の状態(勝原裕美子:兵庫県立看護大学)
p169-171 ボランティアとして近所の病院へ(勝原裕美子:兵庫県立看護大学)
p172 四日目に神戸を離れて(勝原裕美子:兵庫県立看護大学)
p173-175 明石(大学)に戻って(勝原裕美子:兵庫県立看護大学)
p176-194 甲南病院看護専門学校
p176-183 上杉悦子さん(教員)(上杉悦子:甲南病院看護専門学校)
p177-178 子どもを残して学生寮へ(上杉悦子:甲南病院看護専門学校)
p178-180 寮倒壊の現場で(上杉悦子:甲南病院看護専門学校)
p181-182 近所の人たちを頼りに(上杉悦子:甲南病院看護専門学校)
p182-183 「体」が即動いた学生たち(上杉悦子:甲南病院看護専門学校)
p184-194 高橋直美さん(教員)(高橋直美:甲南病院看護専門学校)
p185-186 六甲アイランドの状況(高橋直美:甲南病院看護専門学校)
p186-187 学生と一緒にボランティアを(高橋直美:甲南病院看護専門学校)
p187-190 強かった学生たち(高橋直美:甲南病院看護専門学校)
p190-192 親元へ、そして国試へ(高橋直美:甲南病院看護専門学校)
p192-194 学生の真の姿が見えた(高橋直美:甲南病院看護専門学校)
p195-203 外傷反応の理解と対策 : トピックス(パトリシア・R・アンダーウッド:兵庫県立看護大学)
p[205}-261 被災地の地域と避難所で
p206-222 神戸市 : 谷口昌子さん(衛生局健康増進課主査)(谷口昌子:神戸市衛生局)
p207-209 長田保健所での援助(谷口昌子:神戸市衛生局)
p209-210 避難所の巡回に(谷口昌子:神戸市衛生局)
p211-214 薬品の管理から見た救援の意味(谷口昌子:神戸市衛生局)
p214-215 引き継ぎをどうするか(谷口昌子:神戸市衛生局)
p216-217 保健所や訪問看護ステーションの活動(谷口昌子:神戸市衛生局)
p217-219 さまざまな誤解(谷口昌子:神戸市衛生局)
p219-221 仮設住宅の問題点(谷口昌子:神戸市衛生局)
p221-222 マニュアルを超えた対応の必要性(谷口昌子:神戸市衛生局)
p223-234 日本赤十字社神戸訪問看護ステーション : 武市和子さん(所長)(武市和子:日本赤十字社)
p224-226 頭に浮かんだのは「患者さん」(武市和子:日本赤十字社)
p227-228 ステーションとしての活動開始(武市和子:日本赤十字社)
p228-230 訪問できない避難所の人たち(武市和子:日本赤十字社)
p231-233 生活の場が壊れた影響(武市和子:日本赤十字社)
p233-234 開業医を大事にしながらも看護の価値を訴える(武市和子:日本赤十字社)
p235-252 宝塚市 : 黒田裕子さん(市立老人保健施設事業主幹)(黒田裕子:宝塚市立老人保健施設)
p236-238 地震発生直後に市役所へ(黒田裕子:宝塚市立老人保健施設)
p238-241 避難所救護所(スポーツセンター)で(黒田裕子:宝塚市立老人保健施設)
p241-242 二次防災は、まず感染予防(黒田裕子:宝塚市立老人保健施設)
p242-244 衛生面の管理(黒田裕子:宝塚市立老人保健施設)
p244-245 安全面の対策(黒田裕子:宝塚市立老人保健施設)
p245-247 精神面のケアが重要だった(黒田裕子:宝塚市立老人保健施設)
p247-249 情報の不備を改善するために(黒田裕子:宝塚市立老人保健施設)
p249-251 ボランティアのあり方を再確認(黒田裕子:宝塚市立老人保健施設)
p251-252 現状と今後の課題(黒田裕子:宝塚市立老人保健施設)
p253-261 兵庫県立看護大学 : 井伊久美子さん(教員)(井伊久美子:兵庫県立看護大学)
p254-255 保健婦としての活動(井伊久美子:兵庫県立看護大学)
p255-257 須磨区の状況把握に出掛ける(井伊久美子:兵庫県立看護大学)
p257-258 北淡町の様子(井伊久美子:兵庫県立看護大学)
p259-260 大学職員としてのボランティア活動(井伊久美子:兵庫県立看護大学)
p260-261 震災で学んだこと(井伊久美子:兵庫県立看護大学)
p[263}-288 連帯する看護婦たち
p264-279 兵庫県立看護大学 : 高谷裕紀子さん(教員)(高谷裕紀子:兵庫県立看護大学)
p266-267 なにかをしなければ・・・・・・(高谷裕紀子:兵庫県立看護大学)
p267-268 駆け込んだA病院(高谷裕紀子:兵庫県立看護大学)
p268-270 なにもできないつらさ(高谷裕紀子:兵庫県立看護大学)
p270-271 同僚のKさんの安否確認に(高谷裕紀子;兵庫県立看護大学)
p271-273 二日目もA病院に(高谷裕紀子:兵庫県立看護大学)
p273-275 避難勧告がパニックに(高谷裕紀子:兵庫県立看護大学)
p275-277 ボランティア活動はさらに続く(高谷裕紀子:兵庫県立看護大学)
p277-279 人の弱さ、強さを知った(高谷裕紀子:兵庫県立看護大学)
p279 危機の時の指示の大切さを学ぶ(高谷裕紀子:兵庫県立看護大学)
p280-288 淡路・北淡診療所 : 萩原和子さん・神和子さん(萩原和子談)
p281-282 ボランティアに至る道(萩原和子談)
p282-284 地元の看護婦さんを休ませるために(萩原和子談)
p284-287 入る側の配慮と受け入れる側の度量(萩原和子談)
p288 「ボランティア」や「看護」を見直す機会に(萩原和子談)
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出版地
東京
発行国
ja
言語
Japanese (日本語)
大きさ
14,288p
21cm
分類
10. 医療
受入日
1995-07-26
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