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https://doi.org/10.24546/81013109
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81013109 (fulltext)
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6.28 MB
52
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81013109
アクセス権
open access
出版タイプ
Version of Record
タイトル
清代道光年間におけるシレート・フレー旗の財政の一側面 : ハラチン左翼旗から送られていた穀物の問題
その他のタイトル
A Financial Aspect of the Siregetü Küriy-e Banner during Törö Gerelt Era of the Qing Dynasty : the Problem of Grain Sent from Qaracin Left Banner
著者
著者名
永, 良
言語
Japanese (日本語)
収録物名
国際文化学
Intercultural Studies Review
巻(号)
35
ページ
72-88
出版者
神戸大学大学院国際文化学研究科
刊行日
2022-03-18
公開日
2022-03-23
抄録
16世紀後半から17世紀前半頃、内モンゴル地域の王侯たちは、かつてモンゴル帝国の一部であった元朝の皇帝フビライとその国師パクパとの関係にならい、チベット仏教の高僧を招いて、しばしばチベット仏教寺院を建立していた。さらに、清朝を創設した満洲人もモンゴル人を通じてこのチベット仏教を受け入れ、同じチベット仏教世界観を共有するようになった。その後、満洲人の清王朝が徐々にモンゴル地域を支配下に入れていくとともに、清朝皇帝はチベット仏教の僧侶にシレート・フレー旗という行政区画の統治権を授与して管轄させ、清朝の最初のラマ(喇嘛)旗と称されるシレート・フレー旗を発足させた。こうして、シレート・フレー旗はチベット仏教世界観を共有する清朝独自の秩序体系の中で最初に設立された仏教的色彩を有する行政機構となり、チベット仏教世界観の秩序体系の構築に大きな影響を与え始めた。このシレート・フレー旗のために、太宗ホンタイジ以降の清朝の皇帝たちは、毎年10月にジョスト盟のハラチン4旗(ハラチン左翼旗、ハラチン右翼旗、ハラチン中旗の3旗とトゥメト左粟旗との計4旗のこと)から穀物(アワ)を送るように命令していた。拙稿永良(2021)では、清朝の乾隆年間にハラチン左翼旗からシレート・フレー旗に送られていた穀物について検討し、当初穀物そのものの形で送付されていたものの、途中から銀に換算した形で送られ始めたことを明らかにした。本論文では、それに続いて、清代道光年間のシレート・フレー旗とハラチン左翼旗との間での穀物送付問題のその後の変化やその詳細なプロセスを分析し、清代におけるハラチン左翼旗からシレート・フレー旗に送られていた穀物の具体的な全体像を描き出すことを試みる。
キーワード
清代モンゴル
チベット仏教
ラマ旗
シレート・フレー旗
穀物問題
カテゴリ
国際文化学
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35号(2022-03-18)
紀要論文
関連情報
URI
http://web.cla.kobe-u.ac.jp/kbkjnl
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資源タイプ
departmental bulletin paper
eISSN
2187-2082
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