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https://doi.org/10.24546/E0041030
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2025-06-24
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説明
E0041030 (fulltext)
pdf
1.52 MB
59
メタデータ
ファイル出力
メタデータID
E0041030
アクセス権
open access
出版タイプ
Version of Record
タイトル
ウォルター・スコットの日記(1)
その他のタイトル
The Journal of Sir Walter Scott : Part I
著者
著者ID
A1079
研究者ID
1000050144605
著者名
米本, 弘一(訳)
Yonemoto, Koichi
ヨネモト, コウイチ
所属機関名
国際文化学研究科
言語
Japanese (日本語)
収録物名
国際文化学研究 : 神戸大学大学院国際文化学研究科紀要
巻(号)
47
ページ
89*-116*
出版者
神戸大学大学院国際文化学研究科
刊行日
2016-12-25
公開日
2017-02-28
抄録
スコットランドの詩人・小説家ウォルター・スコット(1771-1832)は、1825年11月20日から日記をつけ始めている。これはスコットが54歳の時のことであり、その後何度か短期間の中断はあるものの、1832年9月に亡くなる前の同年4月頃まで、この日記は書き続けられている。晩年に当たるこの6年余りの間に、スコットは様々な苦難を経験している。1825年に起こった金融危機によって、翌年1月には、スコットの作品を出版していたコンスタブル社と、彼が共同経営者となっていたジェイムズ・バランタインの印刷所が倒産する。その結果彼は多額の借金を背負うことになる。それに追い打ちをかけるように、5月には妻のシャーロットが亡くなる。さらには、長年患っていた胆石が悪化し、のちには脳卒中の発作にも見舞われる。こういった悲劇的状況の中で書かれた日記は、スコットの人柄や人生観を直接知ることができる貴重な資料となっている。日記の冒頭の部分で述べられているように、スコットはこの日記が将来公開されるのを意識していたことは確かである。そのため、その日に起こったことだけでなく、過去の出来事や人物についての思い出も書き綴られている。また、他の作品と同じように、シェイクスピアの劇など、様々な文学作品からの引用や言及も見られ、単なる身辺雑記ではなく、自伝的文学作品の様相を呈している。特に、日記が書き始められる前年に亡くなったバイロンについての回想を初めとして、サウジー、ヘンリー・マッケンジー、シェリー、キーツ、ワーズワスといった当時の文学者との交友関係も描かれており、この日記は文学史的にも大いに価値があると思われる。また、法律家でもあったスコットは、スコットランドの高等裁判所に当たる民事訴訟院の書記官を務めていた。そのため彼は、当時の政治家や法律家、貴族や実業家などと親密な関係にあった。日記でもそういった人物との交流が描かれており、当時の社会や政治の状況を知ることができる。本稿では、The Journal of Sir Walter Scott (ed. W. E. K. Anderson, Edinburgh: Canongate Books, 1998) をテクストとして使用した。以下の注では、重要な人物や文学作品などについて、アンダーソンによる注釈やロックハートの伝記などを参照して、説明を加えた。なお、文学作品や聖書からの引用、言及については、本文中の[ ]内に出典を記した。
カテゴリ
国際文化学研究科
国際文化学研究 : 神戸大学大学院国際文化学研究科紀要
>
47号(2016-12-25)
紀要論文
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資源タイプ
departmental bulletin paper
ISSN
1340-5217
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